私に人生と言えるものがあるなら「'19椛の湖フォークジャンボリー」後編

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9月1日(日)、'19椛の湖フォークジャンボリーに行って来ました♪(後編)
( ͒ ु•·̫• ू ͒) ♡

 

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tomiisan.hatenablog.com

 


高石ともや
高石ともやさんは1969年の第1回全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)に参加しています。
1960年代後半、高石ともやさんは中津川の人々と交流し様々なところでコンサートを開きました。その中で生まれた企画がフォークジャンボリーでした。フォークジャンボリー誕生のきっかけを作った重要人物ですね。

 

今回のステージの最初の曲は「労務者とは云え」でした。今でもプロテストソングの精神を忘れていません。
ハエハエハエ」はコミカルで観客を楽しませる力も見事です。
最後の曲は「受験生ブルース」で大いに盛り上がりました。
アコースティックギター1本の弾き語りで、観客をその世界に惹き込むカリスマ性は今も失われていないと感じました。
(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-

 


よしだよしこ
昔の全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)には参加していないアーティストで当時から活動している人も呼ぼうという事で登場したのがよしだよしこさんでした。 50年前は高校生でした。
実はよしだよしこさん、10年くらい前に大森のフォーク酒場「風に吹かれて」でライブ観たことあります。
久しぶりのよしだよしこさん、とてもパワフルでした。
特に印象に残ったのは「高野くんの焼き鳥屋」という曲です。震災や原発事故のことも歌われており、とても考えさせられるメッセージソングでした。
(`⊙ω⊙´)カッ!!

 


佐久間順平
佐久間順平さんもよしだよしこさんと同じように昔の全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)には参加していません。50年前は高校生でした。

 

もしかしたら、南こうせつさん、さとう宗幸さんのサポートで佐久間順平さんを初めて知ったのかもしれません。
歌も歌うと知ったのは70年代の「春一番」のライブ盤のシリーズでした。

 

今回、初めての佐久間順平さんのステージです。最初に故・高田渡さんが1970年の第2回全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)で歌った「ごあいさつ」を弾き語りしました。サービス精神があり、面白い人だと思いました。

 

佐久間順平さんはギターも上手いですが、バイオリンも良いのです。曲名は忘れましたが、佐久間順平さんと黒田かなでさんのツインバイオリンの演奏良かったです。

 

その後、「せんそうしない」「かせいのち」「あ・り・が・と・う・の歌」などを歌い、佐久間順平さんの曲には優しいメッセージがあると思いました。
(ू•ω•ू❁)

 


中川五郎
中川五郎さんは第1回(1969年)と第3回(1971年)の全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)に参加しています。
最初に来年の東京オリンピックについて触れ「Sports for tomorrow」という曲を歌いました。IOC総会での安倍総理のスピーチに中川五郎さんが曲をつけました。そして安倍政権への批判を強烈な歌にしたのです。

 

オリンピック繋がりということなのでしょうか、次に「ピーター・ノーマンを知っているかい?」を歌いました。
ピーター・ノーマンは1968年メキシコシティオリンピックに出場したオーストラリアの白人アスリートです。どのような内容の曲なのか気になる人は検索しましょう。差別のない世界を求める祈りでありプロテストソングです。
ギターも歌も激しく、メッセージが心に突き刺さる感じでした。
現在でも闘い続けている熱いフォークシンガーです。近年、ますます若くなっています!
(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-

 


六文銭
六文銭は第2回(1970年)と第3回(1971年)の全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)に参加しています。
小室等さんと及川恒平さんは第2回(1970年)から参加していますが、四角佳子さんは第3回(1971年)からの参加です。
こむろゆいさんは第2回(1970年)の時にお母さんのお腹の中で参加していたという説があります。(小室等さんの奥さんは当時六文銭のメンバーでした)

 

六文銭のステージは「ゲンシバクダンの歌」から始まりました。この曲は1970年の第2回全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)の記録映画に演奏シーンが収録されていますね。この曲を椛の湖のステージで聴けて何だか感慨深かったです。
他には「インドの街を象にのって」「ひとりぼっちのお祭」「街と飛行船」「雨が空から降れば」「私は月には行かないだろう」「面影橋から」「」を演奏しました。
さすがフォーク界の重鎮グループ、貫禄がありました。そして、これからも進化していくと思います。
(`⊙ω⊙´)カッ!!

 


エンディング
まずは小室等さん、中川五郎さん、佐久間順平さんのセッションコーナーです。この3人がステージで共演するのは初めてらしいですね。貴重な光景を目撃しました。
おいでよぼくのベッドに Come To My Bedside ,My Darling.」「みんなふるさと」「We ShaII Overcome 大きな壁が崩れる」を演奏した後、六文銭のメンバー、よしだよしこさんも加わり「出発の歌」「くつが一足あったなら Goodnight Irene」を演奏しました。(記憶が曖昧、間違っていたらすみません…!)

 

その後は高石ともやさんと我夢土下座を中心としたセッション。
おいで一緒に」「私の子供たちへ」そして最後は「私に人生と言えるものがあるなら」を実行委員のメンバー達もステージに上げて、会場みんなで大合唱しました。

 

今回の椛の湖フォークジャンボリーで何度も登場した名前がありました。「笠木透」です。

 

笠木透さんは1969年〜1971年の全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)で中津川労音の事務局長として企画・運営に携わった「フォークジャンボリー実行委員会」の中心メンバーでした。
またフィールドフォークを提唱し活動していました。笠木透さん自身もフォークシンガーであり、数々の名曲を残しました。

 

残念ながら笠木透さんは2014年に77歳で死去されました。しかし、今回の椛の湖フォークジャンボリーに参加していたような気がします。
お会いしたことはありませんが…「わが大地のうた」「私の子供たちへ」「私に人生と言えるものがあるなら」・・・歌の中に笠木透さんがいるような気がしました。

 

18時過ぎに今回の椛の湖フォークジャンボリーは終了しました。
とても充実した素晴らしい時間でした。
✧( ु•⌄• )◞◟( •⌄• ू )✧

 

 

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夜の坂下駅構内

 

 

翌朝、高速バスに乗り昼過ぎにはバスタ新宿に到着しました。
顔や腕が日焼けでちょっぴり痛くて、夏を感じました。
(❁´ω`❁)