沢田聖子「坂道の少女」(1980年4月25日/クラウンレコード)
A面
1.さよならも言わずに 作詞・作曲:沢田聖子 /編曲:木田高介
2.坂道の少女 作詞・作曲:イルカ /編曲:木田高介
5.シオン 作詞・作曲:イルカ /木田高介
B面
1.キャンパススケッチ 作詞:中里綴 /作曲:イルカ /編曲:石川鷹彦
「聖子」は「しょうこ」と読むよ‼
高校を卒業したばかりの18歳の春に発表した記念すべきファーストアルバム。(レコーディング時は17歳)
ジャケットのセーラー服が眩しい!このジャケットはCDよりもLPのほうがインパクトあります!
収録曲は本人のオリジナル曲とイルカさんの曲で構成されていて、いわゆる「イルカの妹」というイメージ。イルカさんの曲、この頃の沢田聖子さんにとても合うんですよね。10代の女の子の繊細な気持ちを表現するのがとても上手いです。本人のオリジナル曲も初々しくて、輝いています。
A-1.さよならも言わずに 作詞・作曲:沢田聖子 /編曲:木田高介
レコーディング時、高校卒業間近だった沢田聖子さん。もう少女の季節が終わり、大人になっていくのだと感じていたのでしょうか。そんな10代後半の女の子の大人への憧れと、過ぎ去っていく少女時代への淋しさや懐かしさが見事に表現されています。
A-2.坂道の少女 作詞・作曲:イルカ /編曲:木田高介
アルバムのタイトルにもなり、シングルとしても発売された曲。(シングル「坂道の少女」はアルバムと同日同時発売されました)
「図書館の帰り道 赤い自動車の窓から 道をたずねたのはきれいな女の人」という出だし・・・つまり綺麗な女の人がこの町に来てから、少女が好意を寄せている「あなた」は「きれいなあの人」に夢中になってしまうわけです。
「あの人がこの町に来た日から私は 悲しみの始まり あなたは遠い国の人」
「おとなになろうとしたけれど おとなになれない 心がついてこない 坂道の途中で私 なみだ はらりはらり・・・」
大人になろうとしてもなれない、少女の悲しみが痛いほど伝わります。10代のあどけない表情の沢田聖子さんが歌うと・・・この曲の主人公の少女なのではと思ってしまうほどイメージが膨らみます。
このアルバムに収録された作品の中でも屈指の名曲です。
A-3.はにかんで私 作詞・作曲:沢田聖子 /編曲:木田高介
この曲を聴くととても清純な女の子が目に浮かびますね。あゝ・・・こんな良い子がいたらなぁと男子の妄想を駆り立てます。笑
のびのびと歌っていて気持ち良いですね。
青春真ん中!という感じの爽やかな曲。「サァー見つけに行きましょう さわやかな恋のうたを 木綿のシャツに白いスニーカーはいて」というサビですが、さわやかな恋の歌って良いですね。沢田聖子さんには明るくさわやかな恋の歌が合っていると思います。個人的にお気に入りの曲です。
A-5.シオン 作詞・作曲:イルカ /木田高介
出ました、沢田聖子さんの代表曲です。シングル「シオン」に関しては以前書いたので、読んでいない人はそちらも読んでもらえると嬉しいです。
ほんとに可愛らしい曲ですね。大好きな作品です。
B-1.キャンパススケッチ 作詞:中里綴 /作曲:イルカ /編曲:石川鷹彦
出ました、デビュー曲です。沢田聖子さんはこの曲によって1979年5月25日にデビューしました。アルバム「坂道の少女」を発表する約1年前ですね。
石川鷹彦さんの小気味良いアレンジが見事で、さわやかな作品です。こういうさわやかな作品が本当によく合います。
作詞は中里綴さん。さわやかだけど、甘酸っぱい青春の風景が目に浮かびますね。
このアルバムではこの曲だけですが、後に沢田聖子さんに何曲か歌詞を提供していて、イルカさんのように初期の沢田聖子さんの世界観を創った人といえるかもしれません。
若い娘が春になり、愛する人を待っている・・・そんな光景が目に浮かぶような明るい曲です。心の中で膨らむ優しいものは恋なのでしょうか。春は何だか新しい出逢いがあるような、そんな期待をしてしまう季節ですね。
イルカさんらしいメルヘンな作品。イルカさんもコーラスで参加しています。
春先に黄色い花を咲かせるミモザ。フランスではミモザの木の下でキスをしたカップルは結ばれるという言い伝えがあるらしいです。
夏の終わりに知り合った「あなた」の連絡先をなくしてしまった「私」がミモザの木の下で再びあの人に逢えますように・・・と祈る曲です。繊細な少女の気持ちが伝わってきます。
17歳の少女の等身大の歌です。17歳は子どもでも大人でもない、不思議な年齢という感じがしますね。少女から大人へ・・・過ぎ去っていく少女時代に問いかけているのでしょうか。「誰か私の忘れ物に気づいた方はいませんか? 拾った方 どうぞ届けに来てください あなたにはつまらない物だけど 私にはなににもかえられない物ですから」
デビューシングル「キャンパススケッチ」のB面だった曲です。高校の現代国語の授業中に作ったそうです。
「うす紫の紫陽花咲く頃に 風と一緒に土のにおい 運んでくれたあの人は 麦わら帽子におさげ髪 とても似合う女の子」
ある日出会った女の子の笑顔は太陽で「僕」の心は明るくなりました。でも、やがて「さよなら」を告げる女の子・・・。
「雨よ降れ! もっともっと降れ! そしてあの人の思い出を流しておくれ」と「僕」は歌うのです。過ぎ去った子どもの頃の幼い恋・・・雨に降られて、少年は少しずつ大人になっていく・・・そんな気がします。
というわけでこのアルバムには沢田聖子さんの初々しい魅力が詰まっています。「青春」という言葉がとても似合う名盤です。
このアルバムはアレンジャーの木田高介さんの活躍が大きいです。木田さんは60年代後半、ジャックスのメンバーとして活動し解散後、アレンジャーとして活躍しました。
70年代、木田さんは多くのヒット曲を手掛けました。上条恒彦と六文銭「出発の歌」、かぐや姫「神田川」、りりぃ「私は泣いています」、ダ・カーポ「結婚するって本当ですか」などは木田さんの編曲です。
沢田聖子さんのファーストアルバム「坂道の少女」でも素晴らしい名アレンジを手掛けており、沢田聖子さんの原点を創った1人といってもいいと思います。
しかし、残念ながらこのアルバムが発表された翌月5月18日、イルカさんのツアー合宿中に山梨県河口湖沿いで交通事故を起こし31歳で死去しました。
2011年に「木田高介アンソロジー~どこへ」という木田さんが編曲を手掛けた作品をまとめたオムニバスアルバムが出ており、これを聴くといかに木田さんが70年代のフォーク・ニューミュージック界に影響を与えていたかがわかります。
沢田聖子さんのファーストアルバム「坂道の少女」(1980年4月25日)が発表される少し前・・・同年4月1日、名前が一字違いの松田聖子さんがシングル「裸足の季節」でデビューしました。しかも2人は同い年で誕生日は3日違い・・・。(1962年生まれ。沢田聖子、3月13日/松田聖子、3月10日)
何という恐るべき偶然なのでしょうか・・・。「さわだしょうこ」と「まつだせいこ」、これでは当然、2人は比べられる事になります。
「松田聖子」・・・それは18歳の沢田聖子さんの前に現れた最大のライバルだったかもしれません。
こうして80年代、2人の「聖子」の対決(?)が始まるのです。
続く・・・かも!?
沢田聖子「シオン」