あゝ名盤 シングル編⑳「ルビーの指環」寺尾聰

f:id:tomiisan:20180116205757j:plain

寺尾聰ルビーの指環」(1981年2月5日/東芝EMI

A面「ルビーの指環
作詞:松本隆
作曲:寺尾聰
編曲:井上鑑

 

B面「CINEMA HOTEL
作詞:松本隆
作曲:寺尾聰
編曲:井上鑑

 

ルビーの指環」を初めて聴いたのが、いつなのかよく覚えていません。いつのまにか知っていた曲、そんな感じです。シングル盤を手にしたのは高校生の時でした。
洒落た大人のシティ・ポップスに当時高校生だった僕はしびれてしまい、寺尾聰さんの曲ばかり聞いている時期がありました。

 

その頃は寺尾聰さんが俳優という事はうっすらと知っている程度でした。その為か、高校生の僕にとっては寺尾聰さんはミュージシャンというイメージが強く、それもすごくカッコイイ大人の音楽をやっている人という感じでした。

 

もちろん今では寺尾聰さんが俳優である事も知っているので、ミュージシャンというイメージは薄らぎました。
しかし、やはり今聴いても寺尾聰さんの音楽性の高さには驚かされます。俳優というよりもレベルの高いミュージシャンなのです。

 

さて「ルビーの指環」ですが、寺尾聰さんのミュージシャンとしての代表作ですね。1981年2月5日に発売されました。それから約1ヶ月後から徐々に売り上げを伸ばし始め、同年3月30日付けのオリコンシングルチャートで1位を獲得!
結果的に同年12月までに約160万枚を売り上げる大ヒット曲になりました。

 

そして「ルビーの指環」は1981年12月31日、第23回日本レコード大賞を受賞。また、それぞれ同賞の作詞賞(松本隆)作曲賞(寺尾聰)編曲賞(井上鑑)を受賞。
なんと楽曲製作者に贈られる3タイトルを総なめにしたのです・・・!これは史上初であり、今のところこの年以降にはない唯一の記録なのです!

 

そんな「ルビーの指環」ですが、実は発売されるか危うい曲でした。
寺尾聰さんは「ルビーの指環」を当時所属していた石原プロモーションの社長・石原裕次郎さんや専務の小林正彦さんに聞いてもらいます。
しかし、小林専務は「こんなお経みたいな曲が売れるわけがない」と否定します。しかし、石原裕次郎さんからは「いいんじゃないの」と好評価。こうして、レコード化が決定しました。

 

ルビーの指環」って何か耳に残って離れないメロディーで、いきなり脳内でしばらく流れ続ける時がありますよ。
それと寺尾聰さんの低音、たまらん〜♪
大人のムードが漂う切ない曲ですね。
あゝ・・・


ちなみに・・・「ルビーの指環」の大ヒットによって発売当時はそんなにヒットしていなかった前のシングル「SHADOW CITY」(1980年8月5日)、「出航 SASURAI」(1980年10月21日)も相乗効果でヒットしました。
1981年12月時点の売り上げは「SHADOW CITY」が約85万枚、「出航 SASURAI」が約55万枚と言われています。
ルビーの指環」「SHADOW CITY」、「出航 SASURAI」を収録したアルバム「Reflections」(1981年4月5日)はオリコンで約160万枚の売り上げを記録しています。
ちなみに1981年のオリコン年間シングルチャート1位は「ルビーの指環」でしたが、オリコン年間アルバムチャート1位は「Reflections」でした・・・!
シングルもアルバムも1位とは・・・「ルビーの指環」お、恐るべし・・・。

 

 

 

B面「CINEMA HOTEL」は当時アルバム未収録作品でCDの時代になってからは幻の曲になりつつありました。しかし、2003年に発売された「寺尾聰 GOLDEN☆BEST」にてようやくCD化されました!
CINEMA HOTEL」ほんとに隠れた名曲だと思います。これが大人の恋なのか。ドラマチックな情景が目に浮かぶ・・・。ん〜。

 

 

 

 

ルビーの指環寺尾聰


寺尾聰 - ルビーの指環