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あゝ名盤 シングル編⑦「結婚しようよ」よしだたくろう

 

よしだたくろう「結婚しようよ」(1972年1月21日)

 

A面「結婚しようよ」

作詞・作曲:吉田拓郎

編曲:加藤和彦

 

B面「ある雨の日の情景」

作詞:伊庭啓子

補作詞:吉田拓郎

作曲・編曲:吉田拓郎

 

 

吉田拓郎」は何故か初期の頃、アーティスト名が「よしだたくろう」(1970年~1975年)名義でした。というわけで今回紹介する名盤は「よしだたくろう」時代に発表した作品「結婚しようよ」です。フォークソングを一気にメジャーな地位に押し上げ、その後の日本の音楽史に多大な影響を与えた作品です。

 

 

拓郎の音楽を聴き始めたのは高校時代からです。(あえてこの記事では`さん`付けではなく拓郎と呼びたい)それ以来、今も聴き続けています。実は2006年のつま恋コンサートにも行った事があるんですよ。

 

「結婚しようよ」といえば「僕の髪が~肩まで伸びて~君と同じになったら~約束通り~町の教会で~結婚しようよ~んん~♪」という冒頭の歌詞が有名ですよね。この曲を発表した年の6月に拓郎は四角桂子さん(小室等さん率いる六文銭のメンバーの人です)と結婚しました。

後に2人は離婚しましたが・・・。

 

さて、それはそうと「結婚しようよ」は陽気でのほほ~んとした曲なんですが、当時はなかなか「問題の歌」でした。いや、別に歌詞が過激なわけでもないし、現在の感覚からすると理解しにくい事なのですが・・・。

 

「結婚しようよ」以前の例えば60年代後半のフォークソングの世間一般のイメージはプロテストソングでした。ベトナム戦争反対とか70年安保反対とかね。そうじゃないのも実はいっぱいあるのですが。とにかく、いわゆる若者達の「政治の季節」と密接にくっついていたわけです。

 

でもね、反体制的な音楽と思われていたフォークソング70年代になると変わってくるのですよ。若者達の運動は政治的には敗北していき、フォークソングの歌の内容も「私達」から「私」が主流になっていきます。

反体制的な音楽だったフォークソングは変わり始め、脱政治的な私生活を歌うのが増えてくるわけです。そんな時代に「結婚しようよ」は大ヒットしたのです。だからこの曲は70年代初めの若者を象徴する曲でもあるわけです。

いわゆる私小説フォーク、四畳半フォークと呼ばれる歌がこれ以降、増えていきます。

 

「結婚しようよ」の大ヒットによって拓郎は「フォークのプリンス」と呼ばれ、反体制のシンボルだったフォークソングが若者のポップミュージックになっていきました。

しかし、「結婚しようよ」は当時の若者すべてに素直に受け入れられたわけではありません。一方ではそれまでの反体制的なフォークを好む人達からは軟弱な歌だと反発を受け、拓郎はコンサート会場で「帰れ」コールを浴びる事になります。今からしたら、何で・・・という感覚ですが・・・これが当時の若者なのでしょう・・・。

 

「結婚しようよ」のシングル盤ですがアルバム「人間なんて」(19711120日)からのシングルカットです。カントリー・ロックぽい編曲は加藤和彦さんです。拓郎と加藤和彦さんは仲が良く、これ以降も何度も一緒に曲作りをしていますね。

 

B面の「ある雨の日の情景」もアルバム「人間なんて」からのシングルカット。小室等さんが弾く12弦ギターの音色とピピ&コットとミニバンドのバックコーラスが印象的な作品です。作詞の伊庭啓子さんは広島フォーク村の方らしいです。

 

ところで当時、拓郎はフォーク界のスーパースターになりましたが、活躍はフォークの世界だけにとどまりません。というより拓郎ってフォークシンガーとしての要素より、どちらかといえばロックぽいところがあると思います。

自分でエレキ弾いているし、バックバンドたくさん付けて歌ったり。それにアマチュア時代はダウンタウンズというロックバンドでドラムを担当していたんですよ。

その一方で、ボブ・ディランの影響を受けて、ハーモニカをぶら下げ、フォークギターを抱えて1人でフォークコンテストに出たりもしているんですね。

 

拓郎はフォークシンガーでもあり、ロックンローラーでもあるのです。そこがまた何とも魅力的で、カッコいいのです。やっぱりスーパースターだなと思います。

 

とにかく拓郎は現在のJPOPを創り上げた最重要人物の1人です。70年代を代表するカリスマミュージシャンです。また別の機会でその魅了を語りたいと思います。今回紹介した「結婚しようよ」も良いのですが、他にもたくさん名曲があるのです。

あゝ・・・恐るべし、吉田拓郎